西暦2008年のオリンピック:「居心地のよい獄舎」の中で
昔語的五輪女子体操悲話:国家体育館に咲いた一輪の花(ガブリエラ・ドラゴイ選手)
その昔、ユーラシア大陸の東の果てに大きな国があった。はじめは殷、周などという国号がついていた。春秋・戦国という時代があり、秦王「政」が初めてその国を統一し皇帝となった。これが秦の「始皇帝」である。この人物は、自分の大きな墓を作るために、多くの人を働かせた。「孔子」という優れた人物の書物を焼かせたりした。まさに絶大な権力を握り、意のままに人を動かした人物といえる。
秦帝国から漢帝国、隋・唐の両帝国を経て宋、世界帝国モンゴルから元帝国、明朝・清朝まで歴代の皇帝が広大な領土を支配していた。清朝は、「眠れる獅子」と呼ばれたが、最後は欧米諸国や日本などとの戦いに敗れるほど衰退した。清朝最後の皇帝溥儀はラストエンペラーと呼ばれた。
歴史は、繰り返すものだが、西暦1949年頃からこの国も秦帝国と同じような道をたどった。ただ「皇帝」という名前は使われなくなり、「国家主席」と呼ばれるようになった。中国共産党は「中華人民共和国」をつくり毛沢東国家主席の下で一党独裁政治を行った。
「共産主義国家」という個人の自由が認められない国で、目を覆うばかりの「人権の弾圧」や「少数民族の虐待」を隠しながらオリンピックの開催が可能であることを、見事にこの国は証明した。
『その昔、西暦2008年にこの国の首都で開催されたオリンピック、8月8日「鳥の巣」と呼ばれた「国家体育場」で開会式が行われた。「鳥の巣」を取り巻く大勢の武装警官と装甲車に守られながら…。CGの花火や国歌をうたう少女のすり替え、「少数民族の子供たちの行進」を漢民族の子供たちに「なりすまし」を行わせたことなど忘れられない思い出になっている。
また、女子体操競技における年齢詐称事件は国家レベルの操作でパスポート改竄が行われた。コマネチ選手の時代なら14才でもOKだった。もっともコマネチ選手自身は、年齢制限は撤廃すべきであるという意見を持っている。当然、共産主義国で生き残るためには、幼い頃から厳しいトレーニングをさせられ国家レベルの管理が必要であることは、彼女自身が身をもって体験してきたことだから…。このオリンピックは、中国の威信にかけても成功させなければならなかった。
それは、世界の大国「アメリカ合衆国」に金メダルの数で勝つことだった。それは、世界で一番強い国になったということを意味するのだ。
2008年に北京でオリンピックが開催されることが決まってから、北京市内在住の150万人を強制的に移住させた。その代わりに地方から建設関係の「民工」400万人を北京に動員し、オリンピック直前に同様に市内から退去させた。まるで始皇帝の陵墓を作ったときの再現である。
また、五輪開催に反対する勢力を完全に封じ込め、完璧なテロ対策を実施することが必要であった。そのために五輪を開催する場所は、保護区として徹底的に防御することにしたのだ。五輪関係者、選手団、報道関係者を一般の中国人と隔離すること、すなわち「居心地のよい獄舎」を提供したのだ。もちろん、厳重な監視付きである。報道関係者は、自分のPCをネットにつなぐことはできなかった。
このような状況の中で西暦2008年のオリンピックは、開催され、見事成功裏に閉会した。』
2008年の北京オリンピックでは、「アテネの団体王者ルーマニア女子体操チーム」は、五輪を経験していない6名の選手を出場させた。
サンドラ・イズバシャ、ステリアナ・ニストル、アナ・マリア・タマルジャン、アンドレーア・アカトリネイ、アンドレーア・グリゴレとガブリエラ・ドラゴイ選手の6名だった(リザーブは、ダニエラ・ドルンチャ選手)。
このメンバーでルーマニア女子チームは見事銅メダルを獲得している。逆にロシアは、史上初の女子体操団体メダルなしに終わった。どちらかといえばチームワークが感じられずバラバラに競技を行ったように見えた。
日本女子体操チームは、予想外(?)に健闘し5位入賞を果たしている。東京五輪3位の銅メダルには及ばないが、素晴らしい結果を残したといえる。個人プレーに走らず、チームのために戦った6名の選手に拍手を惜しまない。
また、従来の「10点満点」の採点から「A得点とB得点の和」で採点する方法がとられるようになった。この新採点方式では、A得点が極端に高くなる段違い平行棒の得意な選手が有利になる。また、一番よくない点は、選手の肉体に与えるダメージが大きく、本来の美しい体操からはかけ離れたものになってしまうところだ。
種目別の決勝に残った8名の選手の点数を比べてみると、段違い平行棒では、6位までが16点台で、しかも6位が2007年のチャンピオン:クセニア・セメノワ選手(ロシア)であった。彼女の16.325は決して悪い点数ではないが、優勝した何 可欣選手は16.725であった。
【※15才の鶴見選手(9月で16才になった)は、「何 可欣選手は、私より一つ年下のはずなのに、何故出場できるの?」と言ったそうだ。コマネチ選手の時代なら問題はなかっただろう。】
次に有利と考えられるのは平均台であるが、優勝したアメリカのショーン・ジョンソン選手の得点は、16.225である。高難度な技を正確に美しく実施した。これは、平均台の最高レベルの得点である。段違い平行棒と比べると差がありすぎはしないか?
床と跳馬は、優勝した選手の得点はいずれも15.650であった。これも段違い平行棒と比べると1点以上の差がある。
床の優勝は、ルーマニアに唯一の金メダルをもたらしたサンドラ・イズバシャ選手である。体操王国ルーマニアの意地を見せた金メダルであった。
基本的に床の競技は、A得点を上げにくい。ライン減点やタンブリングでは着地、ひねり系の技ではひねり不足など厳しく減点される。その中での15.650は素晴らしい。
彼女は、この大会を通して、調子がよく気合いが入っていた。笑顔も、表彰台での涙も素晴らしかった。
五星紅旗があがらなかった唯一の表彰台だった。左右に並んだショーン・ジョンソン選手とナスティア・リューキン選手らアメリカ勢を押さえて、一番高い表彰台に上ったのだ。ルーマニアの国旗を見上げ、国歌を口ずさみながら涙を見せたイズバシャ選手を忘れることはできない。
種目別の決勝に残った他のルーマニアの選手は、ステリアナ・ニストル選手とガブリエラ・ドラゴイ選手の二人だった。アテネの時に比べると寂しい限りだが、団体銅メダルと種目別床の金メダルを獲得できのだ。よしとしておこう。
ニストル選手は、怪我でほとんど練習ができない体で試合に臨んだ。よく頑張ったと思う。以前、このブログでも取り上げたが、彼女は、1989年(平成元年)の9月15日生まれの18才である。2007年シュツットガルト世界選手権の個人総合銀メダリストである。
この大会で、優勝したのが、ショーン・ジョンソン選手であった。
リューキン選手はメダル圏外であった。このときの悔しさがオリンピック個人総合優勝を成し遂げさせたのかもしれない。北京では本当に魂のこもったすばらしい演技を見せてくれた。
ドラゴイ選手は、得意の平均台で15.625という高得点で種目別5位に入った。大健闘である。彼女は、1992年8月28日生まれの15才。競技終了後16才になった。
彼女は、ルーマニアの首都ブカレストから東に200kmほどのところにあるブーザゥという都市で生まれている。ルーマニア平原の北方、トランシルバニア山脈の東麓にある静かな町だ。コーチは、ベルコーチの引退後を任されているニコラエ・フォーミントコーチである。
彼女が真剣に 演技する姿を見ていると、控えめながら芯の強い性格が覗えた。
優勝したショーン・ジョンソン選手のような正確さや大技は持たないが、閉ざされた獄舎の中で「清楚・可憐に咲いた」この五輪で一番の名花であった。






































このロサンゼルス大会では、





























