伝説の美少女☆オレシア・ドュドニク選手:CCCPの少女たち(第2回)
第15回:オレシア・ドュドニク選手の2年間
1988年のソウルオリンピックに出場した旧ソ連の女子体操チームは、シュシュノワ選手をはじめ、バイトワ選手、ボギンスカヤ選手、ラシェノワ選手、およびストラジェワ選手など強力なメンバーで構成されていた。モントリオール世界チャンピオンのオメリヤンチク選手がリザーブメンバーに入っていたことからもわかるように、現在のロシアチームと比較できないくらい有力選手の層が厚かった。
しかし、このオリンピックでは、旧ソ連は団体総合優勝、シュシュノワ選手が個人総合優勝、跳馬でボギンスカヤ選手が優勝したが、種目別ではルーマニアのシリバシュ選手が跳馬以外で全て金メダルを独占した。シュシュノワVSシリバシュ、両選手が熱い戦いを交わしたオリンピックだともいえる。
(※ 余談ながら、ソウルオリンピックで「もし」がゆるされるなら、練習中の怪我で4回も膝の手術をしなければ、アウレリア・ドブレ選手の活躍する姿をみることができたかもしれなかった。
彼女は、親友のシリバシュ選手の演技をどんな思いでみていたのであろうか。つらかったに違いない。
また、オクサナ・オメリヤンチク選手の繊細で美しい演技をみることができなかったことも非常に残念であった。
この二人が欠けたオリンピックは、シュシュノワVSシリバシュ両選手のエネルギッシュでパワフルな競演という印象しかない。私見ながら、両選手の演技は高レベルで完成度は非常に高かった。しかし、何かが足りないと感じたのだ。できることならもっと美しさを追求した演技を見たかった。)
オレシア・ドュドニク選手は、1974年の8月15日生まれだから、ソウルオリンピックが行われた1988年は、まだ14歳のジュニアの選手であった。
この美しい、真剣な表情をした少女は、この年旧ソ連のジュニア選手権の個人総合で優勝している。
いまだにネット上では、女子体操史上No.1の美少女であったという書き込みが多く見られるが、まことにその通りだ。
ただ、普通の美少女ではなく競技中は笑顔を見せることがなく、真剣に演技に集中していた。むしろ短い体操選手としての期間を「真剣に生きた」美しい少女だったのだ。
翌年の1989年のシュツットガルト世界選手権でオレシア・ドュドニク選手は15歳で世界デビューを果たした。
旧ソ連は、団体総合で優勝、個人総合も金銀銅メダルを独占した。ボギンスカヤ選手が金、ラシェノワ選手が銀、ストラジェワ選手が銅であった。
ドュドニク選手は、個人総合枠のなかに入れてもらえたなら、必ずメダルを手にしたことであろう。実際、種目別では、跳馬で金メダル、平均台で銀メダルを獲得したのだ。
彼女の跳馬の演技は、非常に美しくかつ高い運動能力を感じさせる。ユルチェンコ2回ひねりも雄大でしかも優雅ですらあった。採点法が変わったにもかかわらずパーフェクト10は計4回出している。
彼女の演技の特徴は、難度の高い技を組み合わせ、真剣に真っ向から攻めていくところだ。平均台の終末技の3回ひねりの着地で失敗したにも関わらず、演技構成のレベルが高く台上での失敗がなかったため審判が高い得点を出し、銀メダルを獲得している。床は、4位の成績であったが、演技内容はすばらしくメダリストの演技に比べても遜色のないものであった。下の動画は、オレシア・ドュドニク選手の演技の総集編である。じっくり見ていただきたい。
http://www.youtube.com/watch.php?v=gNu5QaRgJ4Q
(※話はまたそれるが、ナタリア・ラシェノワ選手は、旧ソ連の選手だが、出身はラトビア共和国である。バルト三国といえばエストニア・ラトビア・リトアニアのことを指すが、昔からロシアが大嫌いでソ連邦が解体したときEUN=独立国家共同体の中には当然入らなかった。
しかし、祖国ラトビアは独立したものの、体操選手ナタリア・ラシェノワにとってはオリンピックに参加する資格を剥奪されることになったのである。1991年、彼女はバルセロナオリンピックに出場できないとわかると引退した。
彼女の演技はダイナミックで、特に床の演技でのタンブリングの切れ味の鋭さやスピード感はすばらしかった。それでいて柔らかく優雅なところもあった。好きな選手の一人だっただけに残念であった。)
オレシア・ドュドニク選手は、1989年に世界デビューし、跳馬の世界チャンピオンになった。
彼女の持っている技術・表現力は誰が見てもわかるくらい優れていた。当然、1990年は彼女が最も期待される年になるはずであったが、右足の怪我が悪化していたのだ。上の動画で見ていただくとよくわかるが、彼女が右足に白い包帯を巻いて演技している試合がある。
これが全てだった。結局、十分な結果を出すことができずに終わってしまった。休息し、リハビリを続けたが決して元のレベルに戻ることはなかった。そして、そのまま誰にも知られることなく静かに引退したのだ。あまりにも短い2年間だった。
もし、怪我がなかったらどれだけすばらしい選手になっていたのだろうか。彼女やエレナ・ムヒナ選手、アウレリア・ドブレ選手、シルビア・ミトバ選手など…輝くばかりの才能を与えながら、何故、神は続けることを許し給わなかったのか。
1986年のチェルノブイリ原発の事故は今日でもウクライナのみならず近隣諸国に深刻な放射能汚染を与え続けている。
オレシア・ドュドニク選手のふるさとはウクライナ共和国だ。首都キエフの北方にあるこの原発の事故のため両親を二人ともなくしている。最後は、彼女が付きっきりで看病したと聞いている。
オメリヤンチク選手もウクライナの出身だが、彼女の弟も原発事故の被害者となった。日本で失われた視力を回復する手術を受けたが、あまり改善されなかったと聞いている。その後、どうしているのだろうか。彼に限らず、多くの人がいまだに苦しみ続けている。
また、オレシア・ドュドニク選手は、ウクライナ出身のレスラーである夫にも2004年に先立たれた。幸い一人の息子を授かっていると聞く。現在、エジプトに在住し、体操を教えているようだ。
ナタリヤ・クチンスカヤ選手は、引退後、日本の大阪で体操を教えていたことは事実だが、ドュドニク選手が一時期日本にいるという噂が流れていたことがあったが、本当はどうだったのだろうか。
オレシア…あなたの演技は、2年間という短い期間しか見ることができなかったけれど、夏の夜空に輝く花火のように美しいものだった。いまでも心に焼き付いてはなれない。ありがとう。これからも、いろいろ大変なことがあるかもしれないが元気な姿をまた見せてほしい。
あなたはどこにいようと真剣に生きていく人だから…。


初めまして、アウレリア・ドブレで検索してここに辿り着きました。
>今でも女子体操史上 No.1 の美少女とネットに書かれている。
私も、そう思います。
体操をやっていたので、長年体操を見てきましたが、彼女ほど綺麗な選手は他に見たことがありません。
記述されているように、クチンスカヤ選手と類似してる点は多いですね。
アイドル女優と見まがう美貌、世界最高レベルの実力、短かった選手生命。
(クチンスカヤさんを1977年にTVでじっくり見たとき、ソ連の女優さんのように見えました。)
事実、クチンスカヤさんも実力ではライバル、チャフラフスカと互角だったにもかかわらず、メキシコ五輪では跳馬の失敗で敗れています。 その後、彼女の活躍を見ることはありませんでした。
ドュドニクはもしかしたら、ソ連という歴史上稀な国家体制が生み出した奇跡だったのかもしれませんね。
投稿: わい | 2008年12月17日 (水) 14時54分
こんにちは。コマネチで体操にはまり、その後は体操の放送を新聞で捜しては見ていました。偶然このHPを見つけ、あまりの懐かしさに書き込みしてしまいました。
サボー、アガケは国際ジュニアに来日したときに生で演技を見ました。今はふたりともお母さんなのですね。
ドュドニクはその美少女ぶりが私も忘れられません。けがで引退したことやチェルノブイリでそんな悲しいことがあったことは知りませんでした。
ムヒナ、ドブレ、ドュドニク・・・選手たちは本当に身体の極限で演技をしているのだと感じました。
また、お邪魔させていただきます。
投稿: 白桃 | 2010年5月 5日 (水) 12時52分
確かに体操史上No.1美少女はオレシアでしょうね。難度も高くい素晴らしい選手ですね。グツーも美少女で難度が高いしオリンピックチャンピオンですよね。美少女ですが色気のあるヘンリエッタ・オノディー選手の事を知りたいんで宜しくお願いします。ハンガリーといった体操王国でも無い国で孤軍奮闘してるヘンリエッタは素晴らしい選手ですよ。
投稿: 美少女 | 2010年9月24日 (金) 13時12分